とうとう・・・ガンになってしまいました【精巣(睾丸)腫瘍】とリンパ節の転移

精巣腫瘍の発見から、摘出手術→BEP(科学)療法→回復したのかな?!→BEPのブレオマイシンの副作用【薬剤性の肺障害(肺繊維症)】発症!とゆう闘病の日記のような内容になります。ガンにならないためには、どうしたらよいのか?なにかできることは?とゆうことも、書いていこうと思います(*‘ω‘ *)

とうとう・・・ガンになってしまいました【28回目】精巣腫瘍「一時退院か?!」「母の話」

こんにちは、こんばんは´ω`)ノ

 

昨日は、一日、抗生剤投与で終わりました、熱のほうは

【36.6度】~【37.0度】の間をウロチョロ、といった感じで、朝のストレッチのほうでは、けっこうなダルさで、あまりできなく、昼くらいまでかかってようやく完了、とゆう感じでした。

 

抗生剤は、今日で三日目になりますが、今日の朝ではすっかり熱も下がり、ダルさもなくなりました。

熱のほうも【36.5度】あたりをキープしており、わりといい感じです。

 

今日の回診にて、とうとう、今日の午後からは【抗生剤の投与】が終了しまして、ようやく針も抜いてもらえることとなりましたヽ(´∇`)ノヤフーイ!!!

今日一日様子を見て、大丈夫そうなら、年明けまでとうとう・・・

【一時退院!】

とゆうこととなりました!

がんばったなぁ・・・とゆう感じです。

とうとう・・・第2クールが本当の意味で完了・・・!

クリスマスのほうも、前日にて帰宅でき、年末も自宅にて過ごさせてもらえることになるとは・・・

じつのところ、入院前には、先生には

「治療が3クール終わるまでは、病院を出ることができません」。

とゆうような感じで言われておりましたので、正直なところ、当初としては、もう、クリスマスとか、大晦日とか、正月とか、そうゆうことはもう、ダメになったんだな。

と思っていましたので、まあ、なんだか、良かったです。

まあ、ある程度、キツい覚悟をもって治療にあたってください。とゆうような意味だったんだと思われます。

実際、白血球なども戻りにくい人もいるでしょう。腎臓や肝臓にダメージが出てしまって、大変なことになってしまう人や、副作用で、どえらいことになってしまう人もいるでしょう。

そのくらいの覚悟を持たないと無理なほどの、大変な治療になります。

とゆうことを、おっしゃっておられた、のだと思います。

 

今日は、朝の7時くらいから【抗生剤】の点滴による投与が一時間ほどで、終了してから、いわゆる【様子見】の期間に入りました。

が、とくに【様子見】には、あまり来られませんね(^_^;

本当に様子を見ているのだろうか・・・・

自分で熱を測ったりはしていますが、わりと体調もよく、体温も36.5度あたりをキープしているので、まったく問題なしではあります。

ぶっちゃけ、【様子見】【検温】、いつでもいいぜ。

とゆう感じっすね。

今日は、非常に良い天気であります。

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山の雪もいい感じです(。´ー`。)フフ・・・

 

今日は、なんとなく、年末には北洋銀行がつかなくなるので、1FのATMまで行きました。

その帰り、セブンにより、コーヒー牛乳を購入し、年末でも利用でき、手数料もかからない【セブン銀行】に、年末に利用するであろうお金を移しました。

セブン銀行、みなさんは使われてますでしょうか。

なかなか、いいです。

ほかにも、良いものがあるとは思いますが、僕はもっぱら自宅の近所にもセブンがありますので、24時間使えるし、夜6時までは手数料が無料なので、利用しています。夜6時からは108円かかります。年末年始や、土日祝日も、利用できます(。´ー`。)イイゼ・・・年会費とかの変なもんも、ないぜ・・・

ただ・・・セブンでしか・・・利用できないぜ・・・・ふふ・・・

 

そのセブンの帰り、コーヒー牛乳を持ってウロウロしていると・・・

母が・・・ここの病院まで、週三回・・・通っていた、【人工透析室】を、中がどうなっているのか・・・ちょっと覗いてみたりしていました。

母は、わたしがだいぶ子供のころから、腎臓が弱っており、わたしがだいぶ小さい頃から、「いつか、人工透析、とゆうのをしないとならなくて、あまり長くは生きられないかもしれない」とゆう話をたまにしていたので、子供時代から、よく母が死んでしまう夢を、よく見ては、泣きながら目覚めたりしていました。

母は、その後はだいぶ大丈夫だったんですが、わたしが20才くらいからでしょうか、とうとう・・・腎臓の機能がほとんどなくなってしまい、人工透析をすることになりました。

最初は週に二回・三時間でしたが、2・3年ほどすると、週に三回・3時間になりました。そのころは、地元に人工透析ができる病院がなく、地元から一時間40分ほどかかる、ここの病院まで人工透析に、通っておりました。

地元にないわけではなかったのですが、人口一万二千の町でも、やはり、透析の患者さんはたくさんいましたので、ひとつだけ、病院がありましたが、順番待ちがあまりにも多く、ここまで通っていました。

かなり、キツかったようで、朝6時前くらいにはバスに乗り、この街まで一時間40分かけて、来ていました、駅からは、さらに電車か市内バスに乗り継ぎです。

だいたい、片道2時間はかかります。

かなり、終わって帰ってくるころには、疲れきっていました。

そのたびに、「肩が凝って、石みたいになってるから、揉んでくれるかい?」とわたしはいつも言われて、いつも揉んでいました。

 

ちょっと、長くなりましたので、このあたりにします。

 

それで、人口透析室を見ていると、かなり綺麗なんだな、と思いましたが、ここは新しく立て直したので、母が通っていたころの病院とは、違うんだよな・・・・と思いました。

それでも、少し見ていると・・・私と同じくらいの、普通な感じの兄ちゃん、とゆうか、おっちゃん、とゆうか、そんな感じの人と、わりと紳士な感じのおっちゃんが、わりと同じくらいのタイミングで、こちらのほうへと歩いてきて、人工透析室へと、入っていきました。

大変だな・・・・・これから・・・透析をするんだな・・・・と思いました。

わたしは、人工透析室を見ると、中に入ってしまって「母を知っていますか?」

と聞きたくなりますが、今のところ、やってはいません。

 

母は、その後、少し近所のK町で、人工透析ができる病院が空きましたので、そこに移りましたが、それまでは五年ほども、こちらの病院にお世話になっておりました。

 

わたくしは、今日の体調としましては、体のほうはわりと良いですが。

まだ、食欲とかは、ありません。

 

明日は、一時退院ができるのかと思うと、嬉しくて、母の話なども、書いてしまったりしましたが、あまり、関係のない話では、ありました。

母は、なんだか・・・子宮頸がん、とゆうものにも、なってしまいました。

母の母、わたしの祖母も、子宮頸がんでした。

わたしも、生殖器系の、泌尿器科の・・・精巣がんとゆう、のになってしまいましたけれども。

やはり、遺伝でしょうかね。

父方のほうは、長生きな遺伝子ですが、母方のほうは、あまり、丈夫ではなく、母の父、わたしの祖父も、母が小さいころに、がんで、亡くなっているそうで、わたしは、生まれてこのかた、祖父、とゆう人に会ったことがありません。

 

では、なんだか、しんみりとした感じになりましたが、このあたりで、失礼させていただきます。(´・ω・`)ノでわ